【メンテナンスのお知らせ】2025/01/25(土)00:00~06:00(予定)は新規会員登録、ログインがご利用いただけません。

【体験談】治療に専念するために休職

アイキャッチ

不妊治療は、生理周期に合わせて

診察を受けることが必要になる治療です。

 

女性であればわかりますが、

毎月26日周期で一定で生理がくるという女性の方は、

少ないのではないでしょうか。

ある月は26日で、またある月は28日で生理がきた

という経験を持つ方も少なくないと思います。

 

この生理周期の日数の違いは、

女性のお腹の中にある卵子細胞の成長スピードに

左右されているのです。

 

 

私もあの場にいたかった

 

体験者:Yさん

プロフィール

①初診年齢 34歳
②治療歴
タイミング2回、人工授精10回、
体外受精と顕微授精4回、胚移植10回
③転院歴 4回
④職業 マスコミ関係
⑤職場に不妊治療のことを伝えた?
治療の終盤に上司に伝えた

 

転勤の恐怖と不妊治療

私は、33歳の時に6歳上の夫と結婚しました。

夫も私も転勤を伴う仕事だったため、

妊活を考えてからは

ずっと「転勤の恐怖」と隣り合わせでした。

 

「転勤で別居になってしまう前に」という焦りもあって

結婚して1年後には家の近くの婦人科を受診。

夫は異常なしでしたが、

私が黄体機能不全という診断を受けました。

治療については、タイミング療法から始め、

人工授精へと進みました。

 

当時は転勤してすぐということもあって

不妊治療のことを職場に伝えることができず、

自分でもとても心苦しい状況でした。

通院する必要があるときには

“風邪”、“腹痛”など本当の理由は言わずに通院し、

職場に遅刻しながら出勤していました。

 

不妊治療を始めて半年経たったころ、

夫が北関東に転勤に。

私は転居した場所から職場まで

新幹線通勤することになりました。

新しい場所での病院選びと通院、

新幹線の往復と仕事で体も心もヘトヘト…。

焦る気持ちとは裏腹に、

治療からは自然と足が遠のいてしまいました。

 

夫の次の転勤で都内に戻った時、私は36歳。

治療に本腰を入れるためにも

通院しやすい環境にしたいと思い、

病院は職場から近い医療機関に。

さらに仕事も内勤から、時間の融通が利く

外勤の業務に担当替えを希望しました。

 

ここでも、上司に不妊治療をしていることは

言えませんでしたが、

外回りの合間に通院できるようになって、

心の負担は随分軽くなりました。

 

そこで、ずっと迷っていた

体外受精に踏み切ったのですが…

大問題が発覚します。

 

受精障害!?

体外受精では、私の卵子と夫の精子は受精しない

「受精障害」との宣告。

 

受精障害という初めて聞く言葉に

「頭が真っ白になるってこういうことか」と感じ、

ただただ涙が止まらなかったことを覚えています。

その後は、顕微授精に切り替えたものの、

妊娠の陽性反応が出ないまま2年余り続き

私は39歳に。

 

「最後にもうひと踏ん張り」の思いで、

高度生殖医療の専門クリニックに転院しました。

すると、その病院での1回目の顕微授精で、

初めての陽性反応。

その妊娠は残念ながら継続できませんでしたが、

半ば諦めかけていた私にとっては希望になりました。

 

働き方の選択と希望

ようやく希望が見えた!と思ったら、

今度は私に転勤の辞令が出てしまったのです。

「もう1回治療したら妊娠できるかもしれないのに、なんで今?」

「仕事も好き、でも治療も諦めたくない」

悔しくて、悔しくて、一晩中泣きました。

 

夫は

「このまま治療を続けても、妊娠できるとは限らないのだから、仕事続けたら?」

と言いましたが、

私は子どもを諦めることができない、

不妊治療を続けたいと思い、退職の道を選びました。

 

そして退職後の顕微授精で妊娠、

40歳で子どもを出産することができました。

私は仕事を続けたかったし、

当時の同僚の女性たちが働き続けいているのを見ると

「私もあの場にいたかったな」と

感じることもあります。

 

しかし会社から一旦離れてみることで

見えたこともあります。

会社員でなくても、

仕事はいくらでもあることを知りました(笑)。

長年会社に所属していたら味わえなかった

新たなチャレンジのチャンスを手に入れた!と

今は心から感じられるようになりました。

 

 

仕事をやめて治療をしていたらと後悔したくなかった

体験者:Mさん

プロフィール

① 初診年齢 32歳
② 治療歴
タイミング法4回、人工授精3回、
体外受精7回、顕微授精3回
③ 転院歴 3回
④ 職業 人材サービス(営業⇒内勤へ配置転換)
⑤ 職場に不妊治療のことを伝えた?
上司、近しい同僚に伝えた

 

計画通りにはいかなかった妊活

32歳で妊活をスタートした私は、

産後できるだけ早く復帰して仕事に邁進する

という計画を持っていました。

 

会社では、たくさんの女性従業員が

産休・育休制度を利用し、

子どもを持ちながら仕事でも活躍していました。

私はといえば、半年経っても妊娠せず、

クリニックの検査では夫婦共に不妊原因なし。

「自分たちは不妊ではない」という意識のまま、

タイミング法、人工授精、体外受精に

進んでいきました。

 

体外受精に進んでからは、

仕事との両立が急に難しくなり、

生理が来て初めて決まる通院スケジュールに加え、

「明日もう一度来てください」と言われる日々。

当時、営業職だった私が通院するためには、

クライアントとの約束日時の変更を

しなくてはなりませんでした。

 

また午前休暇を取って早朝に受診し、

診察待ち時間が長くなってしまった日は、

午前休暇では間に合わず、午後に遅刻して出社。

罪悪感に苛まれる日々を送っており、

仕事をしながらの不妊治療は5年に及びました。

 

子どもを望むことからの解放

どれだけ望んでも妊娠することは叶わず、

精神的な限界を感じ始めたころ、

この気持ちから解放されたいと考えるように。

 

夫婦で話し合い、治療の終結に向けて話が進んだ時に、

“仕事をしていない状態で治療をしてみたい”

という気持ちがずっとあったことに

自分自身が気づきました。

 

この気持ちに蓋をして治療だけをやめてしまったら

「あの時もし、仕事をやめて治療をしていたら…」

と後悔しながら生きていくことに

なるかもしれないと思いました。

 

退職という大きな決断

当時、私の会社には不妊治療を理由とする

休職制度がなかったので、

自分が後悔しない道を選択するため

悩んだ末に退職を決意しました。

 

退職後、子どもを持つことへの強い気持ちが

不思議と和らいでいきました。

必要以上に人と比べてしまうことが減り、

努力してもどうにもならないことを受け入れる

心の準備が整っていったように思います。

 

このまま治療を終結する選択も考えましたが、

自分の気持ちに整理をつけるために、

最後の治療に臨み、初めて着床、出産に至りました。

 

退職したことを後悔はしていませんが、

再就職の難しさを感じることも多々ありました。

仕事が決まっていないと保育園に入りにくく、

預け先が決まっていないと

再就職のハードルは高く感じました。

もし今、仕事を続けるか退職するかで

悩んでいる方がいらっしゃったら、

会社の制度やご自身の周りのサポート体制を調べ、

最大限活用し、最後の手段として

退職という選択を残しておくことも一つだと思います。

 

不妊治療の結果を自分で

コントロールすることはできませんが、

その過程にあるさまざまな選択を

夫婦で話し合い決めていくことができました。

そのために、自分自身の気持ちに向き合うこと、

パートナーとじっくり話し合い

気持ちを合わせる時間を持てたことは

とてもよかったと思います。

ママケリーアプリ_アイコン

ママケリー

生理管理・妊活・妊娠・育児まで
記録できるアプリ。

産婦人科医監修のもとに開発され
女性のからだと子どもの健康を見える化。
家族と記録した内容を共有してみませんか?